カテゴリ
以前の記事
検索
リンク
最新のトラックバック
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
2005年 11月 20日
村山由佳の「おいしいコーヒーの入れ方」シリーズ(集英社)を、よく高校生が読んでいる。
この前は、男子高校生が読んでいるのを見た。自分で購入し、まだ文庫本になっていない9巻まで読んでいるのだといっていた。 きっと、このシリーズが人を引きつけるのは、ストーリー展開と、主人公のふたり、勝利とかれんの関係性だろうと思う。 一緒にいてほしいときに、何となく側にいてくれるという関係。しかも気を使うことなく、適度な距離感を持って。そんな関係性が、高校生の心を打つのではないかと考えている。 少女コミックを「読む」感覚なのかもしれない。それにしても、女子高生は、この本を読み出すとハマります。 #
by asadoku
| 2005-11-20 23:58
| 本の紹介(て)
2005年 10月 20日
しばらくこのブログを開けてなかったら、最近書き込みが少ない!どうもほかのブロガーの皆さんはぼく以上に多忙なようです。それならしかたない、比較的閑な?ぼくが務めを果たすことにします。
「火星のプリンセス」はぼくが「文庫本」という存在を知ったころに出会いました。中3の時書店で岩波文庫を見つけて、世の中にこんな安い本があったのかと驚喜したのを覚えています。 さて、この本、面白くて面白くて、でも夢中になって読んでいると先が知りたくて、その頁上のちょっと先の行が視野に入ってしまうので、読んでいる行より左は手で隠して読みました。そういう経験って、ありますか? エドガー・ライス・バローズは、面白い面白い冒険小説をいっぱい書いた人。ターザン・シリーズの作者でもあります。実は高校生の時バローズの経歴を読んで、子どもの頃映画で観ていたターザンが、一人の人間の頭で作られた架空の存在と知って衝撃を受けたのです(笑)。 翻訳としては角川文庫版・小笠原豊樹訳もオススメですが、入手は難しいでしょう。創元推理文庫版でOKです。ぼくは創元版の表紙絵(武部本一郎・画)を愛してやまないのであります。なお、くれぐれも子供向きの翻案本ではなく、完訳版で読んでくださいね。 #
by asadoku
| 2005-10-20 12:50
| 本の紹介(よ)
2005年 09月 15日
児童文学の森に分け入った子どもは、胸ときめかせて数ある英国の物語に読みふけった。ナルニアやランサムや「トム真夜」といった英国黄金期の名作の数々に時を忘れた。それでもときおり、新しい実をつける木々にもふと目を留めることはあった。それがピーター・ディッキンソンだった。だが、おどおどろしき表紙絵に何か衒うものをかんじ、今ひとつ手を出しかねている内に歳月は流れ、それらのことごとくは絶版となってしまった。
三十余年のときを超えて、久々に翻訳が現れたのが、本書だった。読んだ。その日から、この本はかつての森の子の宝物になった。 環境破壊が進み、人類の存在も危ぶまれる遠くない未来。十三歳の少女エヴァはある事故で瀕死の重傷を負い、昏睡状態に陥る。だが、エヴァは目ざめた。そして、エヴァがそこに見いだした現実とは?…読者よ、「気高き人」エヴァとともに歩まれよ。(よ) (本書の表紙を見て、献辞を見て、この後の展開に気づく人がけっこういるのでは?表紙絵はジャングル。献辞はジェーン・グドール。) #
by asadoku
| 2005-09-15 11:54
| 本の紹介(よ)
2005年 09月 14日
何かを失うことはとても悲しく切ない。それはその何かの記憶が残っているから。けれど記憶そのものをなくしてしまったら…。
「わたし」は、次々に何かを失い、同時にその記憶をなくす。切なく苦しい喪失感もなく、事態は淡々と進んでいく。「わたし」は、何かが失われていくことに抵抗もないまま受け入れるだけである。 苦しみあえいでいるのは読者である自分、記憶を持ちつつけている自分でしかない。次々に失われていく世界の中で、その未来に恐ろしい不安を抱いているのも記憶を持ち続ける自分だけである。 悲惨な記憶、戦争の記憶、ヒロシマ・ナガサキ、ホロコースト…。風化していく記憶への警鐘?そんな簡単なことではないと思うが、腹の下がむずむずするような不安を感じる。 やはり、限りなく「無」に近づくことが理想なのだろうか。 忘れてしまうことも、覚えていることも、どちらも”苦”に感じてしまうこの頃である。 #
by asadoku
| 2005-09-14 22:27
| 本の紹介(あ)
2005年 07月 19日
もう何度読み直しただろうか。いつもこの小説を読むと、「コバルトシリーズ」を連想してしまう。でも、人と人との関わりの本質を突いているように思えて仕方がない。
特に里伽子の人物造形。弱いところを見せまいとして、意地を張りながら生きる里伽子。それでも時折、我慢しきれずに出してしまうその気持ち。その気持ちが表に現れたとき、常に側にいる拓。 自分の弱い部分を結果として見せてしまうことになる相手。それがいつも同じ人物だとしたら。きっとそのうちに自分の気持ちに気づくはずだ。自分がいったい誰に心を許しているのかを。 そんなふたりの関わりこそ、この小説の中心部分であり、この小説が人と人との関わりの本質を突いているところでもある。 それともう一つ。この小説は、拓の成長物語である点。地方から東京の大学へ進学した拓が、里伽子に振り回されながらも里伽子に対する自分の「思い」に気づいていくところ。それと、里伽子のまわりの人たちとの関わりの中で、ごく普通の人間関係の中で育った拓が、新しい人間関係に気づいていくところ。 何度か読み返したと冒頭に書いた。以前は、大学生の頃の気持ちに近づいたような気がしていたが、最近では、大学生の頃の気持ちは遙か遠くのもう取り戻すことのできないものとなってしまい、一種のノスタルジーさえ感じるようになってしまった。 それでも、この小説は、あのころの自分の純粋な気持ちを感じ取ることができる、いくつかの中の一つだ。 ところで、私事で申し訳ないが、この小説に登場する里伽子。私には限りなく自分の理想の女性像に近い。 #
by asadoku
| 2005-07-19 23:54
| 本の紹介(て)
|
ファン申請 |
||